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8月15日敗戦から60年

8月15日。先の戦争に負けて60年目。
戦地に赴いて亡くなられた戦士の皆さま、
任務ご苦労様でした。志半ばで倒れ
無念もあったでしょうが、おかげで
日本で平和に暮らせております。
安らかにお眠りくださいませ。


今日付けの産経新聞の特集で、小野田寛郎と櫻井よしこさんの対談が載っていた。
小野田さんは83歳になられた今もお元気で精力的に活動をされている。
帰国後、戦後社会の日本になじめずブラジルに渡り、
ジャングルを開墾して牧場の経営を成功させた。
そのあと小野田自然塾を開塾されキャンプを通じて子供達の育成のため活動をされている。

わたしは小野田さんとは少しだけ接点がある。
1974年の帰還後、和歌山のご実家にお帰りになる際、
国道26号線をバスで通るぞー、との情報を得た糞ガキは
沿道で今か今かと待ちわびた。近所の人も何人か沿道に
並んでたような記憶がある。バスが通過、手をふりまくった。
うまい具合に左側に座っておられたので、こちらに
気がついてもらえ、ふり返してくれた、うれしかった。

生まれたときには既にあった平和。戦争は悪だという戦後社会のなかで、
報道合戦のあとしだいに情報も減り小野田さんは日本を後にした。
そうして小野田さんの記憶も薄れつつあった。

20代のころインドやネパールなどウロウロするのが好きになってプラプラしていた時に
偶然、鈴木紀夫さんの『大放浪』だったかな?この本を読んで小野田さんが
帰還するきっかけが始めて分かった。衝撃であった。
「軍国主義の亡霊」「死に場所を間違えた」などの
マスコミの情報ではなく、生の小野田さんを知ることが出来た。

小野田さんの人となりを知ることでガキの時に
すれ違ったほんの小さな接点がわたしの初めての戦争体験だったとして、
プワーと浮かれザーと流されてたのが一気に楔を打ち込み、垂直に繋がった。
時間がかかったけど、小野田さんの思い出が繋がったのはとても喜ばしいことだ。

もう一度お目にかかりたいと思いつつも
なかなか行動にうつせない、怠惰な自分がふがいない。


小野田さんの特集の発言でこんなのが、

小野田:よくしかられましたが、負けず嫌いだったので「悪くない」って
我を通しました。とうとう戦争も負けずに引き分けにして終わりました。
敗戦国の将校で兵器を持って自分の国へ帰ったのは僕くらいでしょう。(笑い)
櫻井:日本軍は武将解除されましたものね。
小野田:僕は自分の分と戦友の分と銃を持って帰ってきましたから。
だから勝たなかったけど、負けなかった。

なんとも、勇ましい。
戦後60年を期に、戦後の日本で肩身を狭くした戦士達の復権を希望する。
日本の撃墜王、坂井三郎氏はお亡くなりになったが、
名もなき一兵士のじいちゃんもこれからは胸をはってお孫さん、曾孫さんに
武勇伝を語ってやってもいいと思います、それが連続した一族の神話と
なって語り継がれていくといいと思いますね。

ここでもうひとつ覚えておかねばならないのが、
無条件で武装解除したのは軍であって、
日本政府全体が無条件降伏したのではないということですね。
これは今の若い世代の人たちのがよく知ってることだと思います。
これからの中年世代もしっかりしないといけないな。と自分に叱咤です。





今、ベランダでファルトボートの修理をしています。一苦労ですね。

明日からしばらくPCには座れません。モブログになります。よろしくね。

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テーマ : 独り言
ジャンル : 日記

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